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大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)7486号 判決 1987年5月12日

原告

島田孝男

被告

日産火災海上保険株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金五六六万八七〇〇円及び内金五一六万八七〇〇円に対する昭和五九年九月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  保険契約

訴外島田寅蔵(以下「訴外寅蔵」という。)は、昭和五八年一〇月二四日、被告との間で次の内容の自動車損害賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(一) 保険契約者 訴外寅蔵

(二) 保険者 被告

(三) 被保険車両 普通乗用自動車(奈五六そ五四四八号、以下「加害車」という。)

(四) 保有者 訴外寅蔵

(五) 保険期間 昭和五八年一〇月二四日から昭和六〇年一一月二四日まで

2  保険事故の発生

原告は、昭和五九年四月五日午後一〇時三〇分ころ、加害車を運転して奈良県宇陀郡榛原町大字山辺三・二四六四番地先路上を西から東に向かつて直進中、道路前方を南から北へ向かつて横断中の訴外桐野藤正(以下「亡藤正」という。)に自車を衝突させてその場に転倒させ、同人に脳挫傷の傷害を負わせ、そのころ同所において同人を右傷害により死亡するに至らせた(以下「本件事故」という。)。

3  原告らの責任

原告及び訴外寅蔵は、いずれも自己のために加害車を運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

また、原告は、前記のとおり加害車を運転して前記道路を進行していたのであるから、自車の前方道路を横断する者があることも予想されるので、前方及び左右を注視し、前方の道路を横断しようとする者の有無及び動静に注意しつつ自車を進行させ、横断者との衝突事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、前方左右に対する注視を十分にしないで漫然と時速約八〇キロメートルの速度で自車を進行させた過失により、亡藤正をその直前になつて発見し、急制動の措置をとる間もなく自車を同人に衝突させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

4  損害

(亡藤正の損害)

(一) 逸失利益 金九七五万〇五一四円

亡藤正は、大正元年一〇月一七日生まれの本件事故当時七一歳の健康な男子で、山崎工務店に勤務して年間一八六万〇四九五円の給与を得ていたほか、老齢年金として年間一五七万六九〇〇円の支給を受けていた。したがつて、亡藤正は、本件事故により死亡しなければ、死亡の日ののち五年間にわたり、年間三四三万七三九五円の収入を得られたはずである。そこで、同人が右の間に得られるはずの収入総額から三五パーセントの割合による同人の生活費を控除し、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸出利益の死亡当時における現価を求めると、次の計算式のとおり、金九七五万〇五一四円となる。

3,437,395×(1-0.35)×4.364=9,750,514

(二) 慰謝料 金一二〇〇万円

亡藤正は、本件事故により死亡するに至つたものであつて、その受けた精神的肉体的苦痛は甚大であり、これを慰謝するに足りる慰謝料の額は金一二〇〇万円が相当である。

(相続人ら固有の損害)

(三) 葬儀費用 金六〇万円

訴外桐野栄三郎、同桐野フミエ、同中西イクヨ、同石井喜美江(以下「亡藤正の相続人ら」という。)は、亡藤正の葬儀を執り行い、その費用として金六〇万円を支出した。

(原告の損害)

(四) 弁護士費用 金五〇万円

原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、その費用及び報酬として金五〇万円の支払を約した。

5  相続による権利の承継

亡藤正の相続人らは、亡藤正の相続人で、他に相続人はないから、同人の死亡によりその原告及び訴外寅蔵に対する各前記4(一)(二)の損害賠償債権を相続によつて承継した。

6  原告の保険金請求権の取得

原告は、昭和五九年五月一三日、亡藤正の相続人らとの間で、原告は亡藤正の相続人らに対し本件事故に基づく損害賠償として既払金三〇〇万円のほか金一七七五万円を支払う、亡藤正の相続人らは原告に対するその余の請求を放棄するとの和解契約を締結し、これに基づき、同年六月一三日、亡藤正の相続人らに対し右金員の支払を了した。

したがつて、原告は、自賠法一五条に基づき、亡藤正の相続人らに支払をなした合計二〇七五万円の限度において、被告に対する保険金請求権を取得した。

7  原告の保険金の受領

原告は、昭和五九年九月六日、被告から本件保険契約に基づく保険金として金一四八三万一三〇〇円の支払を受けた。

8  結論

よつて、原告は被告に対し、本件保険契約に基づき、6項記載の金額から前項記載の金額を控除した金五一六万八七〇〇円の保険金及び弁護士費用の損害賠償として金五〇万円、合計五六六万八七〇〇円の支払並びに内金五一六万八七〇〇円の保険金に対する支払拒絶の日である昭和五九年九月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実も認める。

3  同3の事実は知らない。

4  同4の事実も知らない。原告主張の損害中、老齢年金は、国家の福祉政策によつて受給権者の生活費として支給されるもので、被害者の稼働能力とは関係がないから、逸失利益算定の基礎とすべきものではない。また、仮に被告に保険金支払債務が存在するとしても、被告には加害者に発生した弁護士費用まで賠償すべき保険契約上の債務はない。

5  同5の事実は認める。

6  同6の事実中、原告が主張のような和解契約に基づき、主張の損害賠償金の支払をしたことは認めるが、そもそも原告は亡藤正の相続人らに対し右のような損害賠償債務がないのであるから、右のような支払をしたとしても、被告に対して保険金請求権を取得するものではない。

7  同7の事実は認める。

三  抗弁(過失相殺)

本件事故現場の道路は、夜間の暗い非市街地のやや南東にゆるやかに湾曲した見通しの困難な幹線道路(国道一六五号線・幅員約六・四メートル)であるが、亡藤正は、黒つぽい衣服を着用して右道路を横断するに当り、前照灯をつけた加害車が接近してきていたのに、左右の安全を確認することなく前方を向いたままでその前方をゆつくりと横断していて本件事故に遭つたものである。したがつて、同人にも本件事故の発生について相当の過失があつたものというべきであり、亡藤正及びその相続人らの損害を算定するに当たつては、被害者たる亡藤正の右過失を斟酌して相当額の減額がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。本件事故現場の道路の幅員は六・四メートルであるところ、加害車と亡藤正の衝突地点は、道路南端から北へ五・二メートル、道路北端まではあと一・二メートルの地点であつた。そして、亡藤正の歩行速度は秒速約〇・六メートルであつたから、同人が道路の横断を始めてから衝突地点まで至るのに約八・七秒を要したことになる。ところで、原告は、事故直前時速約八〇キロメートルで加害車を運転して本件道路を東進し、衝突時点まで制動措置を講じなかつたのであるから、亡藤正が道路を横断し始めた時には、加害車は衝突地点の西方(手前)約一九三メートルの地点を走つていたことになる。そして、本件事故現場付近の制限速度は時速五〇キロメートルであつたから、原告がもし右制限速度を守つて加害車を運転していたならば、衝突地点までの一九三メートルを走行するのに約一三・九秒かかり、この間に亡藤正は道路の横断を終えていたはずである。亡藤正は、横断前約二〇〇メートル先に加害車の前照灯を認めたものの、経験上自己の方が先に横断できるものと判断して横断を始めたもので、同人に過失はない。また、加害車の前照灯の照射距離は、前方をはつきり確認できる限界地点が約二〇メートル、注意すれば前方が見える限界地点が約三〇メートルであり、亡藤正が道路中央線上に達した時、加害車は衝突点の西方約七四メートルの地点に差しかかつていたのであるから、加害車が前方をはつきり確認できる限界地点に達するまで約三・九秒、注意すれば前方が見える限界地点に達するまで約三・二秒かかり、その間に亡藤正はそれぞれ約二・三メートル、約一・九メートル北方へ進行していたものである。したがつて、原告が右の限界地点において亡藤正を発見し、直ちに減速しておれば、加害車が衝突地点を通過する際同人はすでに横断を終えていたはずであり、同人が横断を始めた判断に過失はない。

第三証拠

本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  保険契約及び保険事故の発生

請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  原告らの責任

1  訴外寅蔵の責任

成立に争いのない甲第九号証及び原告本人尋問の結果によれば、本件事故当時訴外寅蔵が加害車を所有していたことが認められるので、同訴外人は加害車を自己のために運行の用に供していた者というべきであり、自賠法三条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

2  原告の責任

原告が加害車を運転して前記道路を進行していたことは前記のとおりであるから、自車の前方道路を横断する者があることも予想されるので、原告は、前方及び左右を注視し、前方の道路を横断しようとする者の有無及び動静に注意しつつ自車を進行させ、横断者との衝突事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたものである。しかるところ、成立に争いのない甲第一二ないし第一四、第一六号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、時速約八〇キロメートルの速度で加害車を運転して本件事故現場付近に差しかかつたが、本件事故現場の手前約四四・七メートルの地点で、その前方約四一メートルの道路左側に設置されていた回転看板及び自車の前方約九二・五メートルの地点を同方向に進行していた先行車に気を奪われ、事故現場手前約一〇メートルに至り、前方の道路を右(南)から左(北)にゆつくり歩いて横断中の亡藤正を道路左端から約一・七メートル道路中央線寄りの地点にはじめて発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、道路左端から約一・二メートルの地点で自車左前部を同人に衝突させたことが認められる。右の事実によれば、原告は、前方及び左右に対する注視が不十分だつたため亡藤正の発見が遅れ、この過失によつて本件事故を発生させたことが明らかであつて、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

三  損害

(亡藤正の損害)

1  逸失利益

成立に争いのない甲第四、第一五号証、弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したものと認められる同第五号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき同第六号証によれば、亡藤正は、大正元年一〇月一七日生まれの本件事故当時七一歳の健康な男子で、山崎工務店に勤務して年間一八六万〇四九五円の給与を得ていたほか、老齢年金として年間一五七万六九〇〇円(一回三九万四二二五円で四回)の支給を受けていたこと、亡藤正は、妻と死別し、長女の訴外桐野フミエ(五二歳)夫妻と同居していたが、自己の生計は右の収入によりこれを維持しており、他に右の収入によりその生計を維持しているような家族はいなかつたことが認められる。そうすると、亡藤正は、本件事故により死亡しなければ、死亡の日ののち五年間にわたり、右の合計額である三四三万七三九五円の年間収入を得られたはずである。そこで、同人が右の間に得られるはずの収入総額から五〇パーセントの割合による同人の生活費を控除し、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益の死亡当時における現価を求めると、次の計算式のとおり、金七五〇万〇九一一円となる。

3,437,395×(1-0.5)×4.3643=7,500,911

2  慰謝料

亡藤正は、本件事故により死亡するに至つたものであつて、その受けた精神的肉体的苦痛は甚大であり、これを慰謝するに足りる慰謝料の額としては、金一二〇〇万円が相当である。

(相続人ら固有の損害)

3 葬儀費用

成立に争いのない甲第七、第八号証及び弁論の全趣旨によれば、亡藤正の相続人らは、亡藤正の葬儀を執り行い、そのため相当額の費用を出捐したことが認められるところ、このうち本件事故と相当因果関係に立つ葬儀費用は金五〇万円である。

四  抗弁(過失相殺)について

本件事故の状況は前記のとおりであるところ、前掲の甲第一二ないし第一四、第一六号証及び原告本人尋問の結果によれば、本件事故現場の道路は、夜間の暗い非市街地の幹線道路(国道一六五号線・幅員約六・四メートル)であること、亡藤正は、黒つぽい衣服を着用して右道路を横断するに当たり、前照灯をつけた加害車が接近してきていたのに、左右の安全を確認することなく前方を向いたままでその前方をゆつくりと横断していて本件事故に遭つたことが認められる。したがつて、同人にも本件事故の発生について相当の過失があつたものというべきであり、原告の前記過失をも斟酌するならば、本件事故の発生に寄与した亡藤正の右過失の割合は三割と認めるのが相当である。

原告は、本件事故は専ら制限速度を守らずに時速約八〇キロメートルで加害車を走行させ、また前方をよく注意しないで加害車を運転した過失によつて発生したものであつて、亡藤正に過失はなかつたと主張し、原告に前方及び左右に対する注視義務を尽くさなかつた過失の存することは前記のとおりである。しかし、亡藤正が前記道路を横断する前、左右の安全を確認しておれば、前照灯をつけた加害車が前記速度で接近してくることは容易に認識できたはずであり、加害車の通過を待つて横断するなどして本件事故の発生を回避することは十分可能であつたというべきであるから、亡藤正に過失がなかつたとは到底いうことができないものである。

したがつて、前記三の1ないし3の損害額から右三割を減じた額をもつて、原告及び訴外寅蔵が賠償すべき損害額とすべきものである。

五  相続による権利の承継

請求の原因5の事実は当事者間に争いがないので、亡藤正の相続人らは、亡藤正の死亡により同人の原告及び訴外寅蔵に対する前記三及び四の1、2の損害賠償債権を相続により取得したものであり、亡藤正の相続人らが原告及び訴外寅蔵それぞれに対して有する損害賠償債権は、金一四〇〇万〇六三七円となる。

六  原告の保険金請求権の取得

原告が昭和五九年五月一三日、亡藤正の相続人らとの間において、原告は亡藤正の相続人らに対し本件事故に基づく損害賠償として既払金三〇〇万円のほか金一七七五万円を支払う、亡藤正の相続人らは原告に対するその余の請求を放棄するとの和解契約を締結し、これに基づき、同年六月一三日、亡藤正の相続人らに対し右金員の支払を了したことは当事者間に争いがない。したがつて、原告は、「被害者に対する損害賠償額について自己が支払をした限度において」、被告に対して保険金の支払を請求することができる(自賠法一五条)ものである。ところで、自賠責保険契約は、「(自賠法)三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生した場合において、これによる保有者の損害及び運転者もその被害者に対して損害賠償の責任を負うべきときのこれによる運転者の損害を保険会社がてん補する」(同法一一条)ものであるから、原告が被告に対して取得する保険金請求権の額は、たとえ原告が被害者に対して負担する損害賠償額を超える損害賠償金の支払をしたとしてもその現実の支払額ではなく、原告が被害者に対して支払うべき損害賠償額を限度とするものであることが明らかである。そして、原告が被害者たる亡藤正の相続人らに対して支払をなすべき損害賠償額が金一四〇〇万〇六三七円であることは前記のとおりであるから、原告が被告に対し自賠法一五条に基づき取得した保険金請求権の額も右と同額であるというべきである。

七  原告の保険金の受領

原告が昭和五九年九月六日、被告から本件保険契約に基づく保険金として金一四八三万一三〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。そうすると、原告の被告に対する本件保険契約に基づく保険金請求権は、右の支払によつてすべて消滅し、もはや残存しないことが明らかである(そうである以上、原告の弁護士費用の賠償請求が認められないことはいうまでもない。)。

八  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下満)

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